
日本人は他国と比べてとてもシャイな性格をしているため、スポーツで自国を応援するときは比較的大人しい印象を受けると度々指摘されてきました。しかし、そのイメージを覆すような熱い応援を行っているのが、浦和レッズのサポーターたちの存在です。
浦和レッズとは埼玉を拠点とした日本Jリーグサッカーチームの一つであり、1991年に初めて誕生することとなった強豪チームの一つでもあります。世界と戦うために結成される日本代表にも数多くの選手を排出しているほどで、これまでにいくつも優勝を経験しているような実績の高さが魅力です。
しかし、チームが結成されてからの道のりは決して平坦なものではなく、数々の試練を乗り越えながら深い団結力へと結びつけてきた歴史があります。今回はそんな深い歴史と軌跡の一瞬について詳しく紹介していきます。
Jリーグが開幕してからの浦和レッズは決して強豪と呼べるような強さを持っておらず、力を合わせて優勝を目指したにも関わらず、リーグ開始から3年連続で最下位という不名誉な称号を得てしまった過去があるのです。しかも相手チームが優勝する瞬間を目の当たりにしてしまうという屈辱を味わったことまであり、当時の選手たちは今でもその光景が忘れられないと述べています。
この悔しさをバネにして厳しいトレーニングや肉体改善を第一に行っていきましたが、多少チーム力を高めることに成功させることができたものの、度重なる選手たちの故障などでたちまち最弱クラブの仲間入り果たす結果になってしまうのです。そして99年には、誰もが忘れることのできないJ2降格という屈辱を味わう結果になりました。
JリーグにはJ1やJ2と言ったレベルの違うリーグが存在しており、成績が一番下になると自動的に降格してしまうと言ったルールが設けられています。一度J2に降格するとそこで優勝または2位の座につかなければ昇格することができないため、かなりの実力が試される過酷な状況に置かれる結果となってしまうのです。
一度は絶望した選手たちでしたが、このままではいけないとがむしゃらにJ2で戦うことを決意したことで、何と1年でJ1への復帰を果たすことができました。こうした経験を活かして日々努力を怠らなかったことで、2005年には3大タイトルの一つである天皇杯を初優勝することができたのです。
その後も順調にリーグ初優勝を飾ったり、アジアの強豪チームと戦えるAFCチャンピオンズリーグに参加するなど数々の実績を生み出していき、今も熱いサポーターたちの応援を糧に日々戦い続けている状況です。