
松本山雅フットボールクラブは1965年に結成されたサッカーチームです。ホームタウンは長野県松本市を中心とした各都市で、愛称はターミガンズ、本拠地はサンプロアルウィンスタジアムです。50年以上の歴史があるクラブですが、これまでにチームは浮き沈みもあり、栄光に輝く歴史もあります。その歴史の軌跡を振り返っていきましょう。まずはチーム名の由来からです。松本「山雅」という名称は実は喫茶店が由来です。当時、チームは長野県選抜の選手で構成されていましたが、彼らが松本駅前にあった喫茶店「山雅」をよく利用していたことに由来します。
歴史の長いクラブですが、プロスポーツの舞台に躍り出たのは2000年代に入ってからです。2004年にクラブの組織運営が現在のアルウェンスポーツに変わり、Jリーグを目指すチームとして再出発しました。まずはJリーグの下部リーグであるJFLに参加するために戦い、2009年に悲願の昇格を果たします。このときは1万人の観客を集めました。天皇杯は長野県代表として、当時J2の湘南ベルマーレやJ1の浦和レッズを下すなど旋風も起こします。このように着々と力をつけていき、2011年にJFLで4位に入ったことでJ2へ昇格しました。
2012年、松本山雅は大きな補強を行います。最大の目玉になったのは、日本を北京五輪に導く貢献をした反町康治監督を招聘したことです。反町康治監督の率いるチームは最初の年で無事残留を果たします。そして、3年目の2014年に昇格圏内の2位以内に入ったことで最高峰のJ1リーグへの挑戦権を手に入れました。2部から1部へわずか3年で昇格したわけですが、これは日本サッカーの歴史において史上最速の記録です。
いよいよ最高の舞台で戦うことになった2015年シーズンは、本拠地での観客数が過去最高の18906人を記録し、県全体の応援を受けながら戦い抜いたシーズンとなります。しかしながら、1部のレベルは高く16位となったことで残留は果たせません。以降は2018年までJ2で戦うことになりましたが、ここで初めての優勝を果たしたことで、2019年にもう一度最高峰の舞台に帰ってくることになります。2019年は守備の健闘が目立ちましたが、得点力不足に悩み再度2部へと降格しました。
2020年はチームを8年間率いた反町監督が退任し、布啓一郎監督が就任します。チームに新しい血が入ったことで再起も期待されています。近年はトップチームだけでなく、育成組織の充実も図られており地元出身の選手や若い選手の育成も進められており、これからの活躍に期待のチームです。