
次は『道東ブロックリーグ』について紹介していきましょう。北海道道東地域で行なわれるサッカーチームとなっていますが、ここまで来るとさすがに道東といわれても検討がつかない人がいてもおかしくないでしょう。道東というのは大体釧路や十勝といった地域のことを指している、といえば簡単でしょうかね。とりあえずは、そんなところでサッカーリーグが行なわれているわけです。
では先ず、この地区にある協会をご紹介していきましょう。
- 釧路管内のクラブチーム – 釧路サッカー協会
- 十勝管内のクラブチーム – 十勝地区サッカー協会
- 根室管内のクラブチーム – 根室地区サッカー協会
となっています。十勝地区サッカー協会は2009年までは帯広地区サッカー協会という名前で活動をしていましたが、それ以降は十勝地区サッカー協会という名称に変更となっています。根室地区は2006年に発足したばかりの協会となっており、最近できたばかりの組織となっています。
昇格
道東地域でも、他の下部リーグと同じくリーグ1位となったチームがブロックリーグ決勝大会の参加権利を得ることになり、同大会で定められた成績を収めると北海道サッカーリーグ昇格となっている。
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降格
年度によって降格の条件は違ってくるが、2012年度に行われたリーグ大会での降格条件は以下の通りとなっている。
- 同等ブロック1位のチームは、北海道サッカーリーグに昇格しなかった場合に関しては、同リーグに残留することになる。
- 同等ブロックリーグ1位のチームが北海道サッカーリーグに昇格した場合、当該地区の1チームが繰上げで道東ブロックリーグに昇格することになる。ここで上げている当該地区というのは網走・釧路・十勝・根室のいずれかとなっている。
- 道東ブロックリーグ2位のチームは道東ブロックリーグに残留となる。
- 道東ブロックリーグ3位から6位のチームは入替戦に参加することになる。この時、対戦相手は可能な範囲で同じ地区のチーム同士が対戦することになっている。
- ただし以上の条件についても、十勝地区のチームについては、北海道サッカーリーグに所属する十勝地区のチームが道東ブロックリーグに降格した際には、例外による判断が下される場合ある。これは道東ブロック1位・2位のチームでも残留が出来ない場合もあり、十勝地区リーグからの昇格条件が変更になる場合もあるため一概には言えないという。
R・シュペルブ釧路
ではここで道東リーグの中では最も代表的なサッカークラブ『R.シュペルブ釧路』をご紹介していこう。チーム名にもなっているシュペルブとは、フランス語で『芸術的な・華麗なプレー』を意味している。チーム名の名に恥じない活躍を道東ブロック内で収め、北海道リーグでの活動を何度もしているにも限らず、北海道リーグ内では成績が思うように振るうことができずに、何度も降格している。道東ブロックでは優秀な成績を収めることが出来ているので、今後本選で大いに力を振ることが出来なくても、今後チームとしての結束力と力の向上が十分に見込めることに変わりはない。
2005年には釧路地区発のユースR・シュペルブりU-15を設立し、2008年にはR.シュペルブりU-12を設立して釧路のサッカーの発展に貢献している。
その他の2012年度参加チーム
- 帯広北クラブ
- 新得FC
- 帯広蹴球団
- FC・Fiore
- Nemuro FC
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活動休止中チーム 帯広FC
ここまでは活動を続けているクラブばかりを説明してきたが、ここでやむを得ず休止してしまっているクラブ『帯広FC』について紹介していこう。元々はJFL参加を目指していたが、2004年を最後に帯広地区リーグに降格すると主力選手の大半がJリーグ参入を目指している現在のとかちフェアスカイ・ジェネシスに移籍してしまったため、クラブとしての存在意義を失ってしまい、2006年から活動を休止してしまうことになった。トップチームが活動休止している代わりに、現在では下部組織の育成に力を入れて活動をしており、また幼稚園や保育園にサッカースクールのために出張するなど地域活動にも貢献するなどの、社会奉仕活動を続けている。
では簡単にではあるが、クラブの沿革について話していこう。始まりは1989年、『よつ葉乳業サッカー部』を引き継いで完全なクラブチームでもある『よつ葉クラブ』として、帯広社会人サッカーチームの2部から参加し活動を開始した。その後大会で9戦全勝で優勝を果たして、1990年に1部に昇格を果たすのであった。
1991年にはチーム名を『帯広フットボールクラブ・よつ葉』に変更し、更に現在の『帯広フットボールクラブ』に改名するのであった。活躍はまだまだ続き、1996年には当時の帯広リーグで優勝を飾り、翌年には北海道サッカーリーグ2部に加盟することを決め、優勝により1998年より1部昇格を果たすことに成功するのであった。その後もチームは順調に運営され、道東地区の中で有力なチームとして果敢に活動を続けていくのであった。
しかし2002年に5位という成績を収めてしまい、翌年からは道東リーグへの降格が決まってしまう。さらに次の年には帯広リーグとの入替戦、十勝フェアスカイ・ジェネシスに対して逆転負けを喫してしまうのだった。この降格が直接的な影響となり、チームの主力選手の大半が流出してしまい、チームの存亡が危ぶまれ始める。チームの存在自体が危ぶまれたな、チームの目標としてJリーグ入りをかかげたが、帯広社会人サッカーリーグでの審判員や運営に関わる人材が確保できにくいことと、トップチームでの選手不足や、スタッフのサポート配置が難しくなっていることなど厳しい状況から、目標のJリーグ入りの取り止めを決定し、2006年度よりチップチームとしての活動は暫く休部することになってしまうのだった。この休部を影響に上記で述べた活動を現在行なっている。