
日本サッカーの歴史を振り返ると、その始まりにはいくつかの説があります。しかし、幕末から明治初期までの間に当時日本に在住していたイギリス人によって伝えられたことは共通しています。当初は外国人居留地で居住していたイギリス人がサッカークラブをつくってプレーしていた程度でしたが、師範学校の教員養成課程でサッカーが「蹴球」として取り入れられると、教員となった卒業生が赴任先の学校で子どもたちに蹴球を教えるようになりました。やがて中等学校や高等学校で少しずつ広まっていき、大正時代に入ると、新聞社などの主催による大規模な大会が開催されるまでに至りました。1921年には現在の日本サッカー協会の前身組織である大日本蹴球協会が設立され、1923年には初めて国際Aマッチの試合が開催されました。
日本のサッカーではじめて大きな実績をあげたのは、1936年のことです。この年行われたベルリン夏季オリンピックで初めてサッカー競技に出場した日本代表は、優勝候補であったスウェーデン代表に勝利する大金星をあげました。この出来事は後に「ベルリンの奇跡」とよばれ、以後日本サッカー界はオリンピックを大きな目標に据えて活動をしていくことになります。その活動が結実したのが、1968年のメキシコオリンピックにおける銅メダル獲得です。
一方、全ての選手が出場を目指しているFIFAワールドカップについては、1954年にはじめて予選に参加したものの、長い間目立つ成績を残すことができないままでした。1970年代から1980年代にかけて日本のサッカーは低迷期でしたが、この間に小学生の世代への普及推進や主要大会の参加要件緩和など様々な改革が実施されました。プロ化の推進も実施された改革のうちの一つで、1993年のJリーグ創設によって結実しました。
さまざまな改革の結果、日本サッカーは徐々に国際大会でも力を発揮できるようになりました。1998年のフランス大会ではじめて本選への出場を果たしてからは、ワールドカップへは6回連続で本選へ出場しており、このうち3回はグループリーグを突破しています。最高成績はベスト16であり、これより先に勝ち進むことが目標となっています。アジアカップは1992年の初優勝を皮切りに、今日までに4度の優勝を飾っており、AFC加盟国の中で最多です。
今日では、サッカーは子供から高齢者まで幅広い年代で親しまれているスポーツです。2019年に北海道知事杯で北海道教育大学岩見沢校がノーブリッツ北海道を破って優勝するなど、ときには下の世代が上の世代のチーム大きな大会で破ることがあり、このスポーツの大きな魅力となっています。