
2020東京オリンピックは日本中を沸かせました。久保選手の躍動など記憶に新しいところでしょう。金メダルは獲得できませんでしたが、ベスト4に進出して大会のベストチームのひとつと言えました。そんな日本代表チームですが、実はこの準決勝というのがひとつの壁になっています。今回は日本と五輪の歴史を振り返りながらこのスポーツの成長と挑戦を見ていきます。
今はU23という23歳以下の祭典となっているオリンピックサッカーですが、昔は年齢制限はありませんでした。ナショナルチームが出場していて、レベルは非常に高かったと言えます。世界を大きく驚かしたのは戦前の1936年ベルリン大会。決勝トーナメントの1回戦、当時優勝候補だったスウェーデンと対決します。しかも日本は五輪に初参加です。下馬評は圧倒的なスウェーデン有利でしたが、3対2で破りました。これは「ベルリンの奇跡」と呼ばれて、歴史に残るジャイアントキリングと呼ばれます。
次に世界を驚かせたのは1968年のメキシコ大会。ブラジルとスペインが同組という厳しい予選ラウンドを2位通過すると、フランスにも勝利します。準決勝でこの後、優勝するハンガリーには敗れましたが、3位決定戦で開催国メキシコに勝利して銅メダルを獲得しました。今大会で活躍したのが、日本史上最高のフォワードと呼ばれる釜本邦茂。メキシコ戦でも2ゴールを決めてメダル獲得に貢献します。ちなみに開催国との対戦だったため、アステカスタジアムには10万人が集まり、完全アウェーの状況での勝利だったと言います。
90年代に入ると、Jリーグが開幕したことで国内のレベルは一挙に上がりました。1996年アトランタ五輪は忘れられない激闘です。ブラジル、ナイジェリア、ハンガリーと同組になり厳しい戦いが予想されましたが、ブラジル戦に勝利。これは「マイアミの奇跡」と呼ばれています。ナイジェリア戦に敗れますが、ハンガリーに勝ったことで2勝1敗という好成績をあげますが、得失点差により3位で敗退しました。しかし、ここで活躍した中田英寿選手や川口能活選手、城彰二選手などがAチームに昇格することで、98年悲願のワールドカップ出場を決めます。
その後は、もはや五輪に出場することは当たり前になり、チームは強くなりました。シドニー大会はベスト8に進出して惜しくもPK戦で敗退します。ロンドン大会は吉田麻也選手などを擁して、準決勝に進出。メダル獲得かと思われましたが、宿敵の韓国に負けてしまいました。そして東京五輪でも準決勝でまた敗戦し、なかなか壁を乗り越えられないでいますが、確実に強くなってきておりパリ五輪も期待されています。