
斉藤光毅はプロサッカー選手です。出身地は東京で、生年月日は2001年生まれとまだ若く、伝記が出るにはまだ早いですが、年代別の日本代表にも選ばれており飛躍が期待されているプロスポーツ選手ですから、彼の生い立ちやキャリアを見ていきましょう。
彼の一番の武器といえばドリブルですが、この技術は小学生から中学生の頃に培われたと言います。ジュニア時代は神奈川県川崎市にある犬蔵SCというクラブに加入していましたが、そこではサッカーを楽しむ環境が育まれており、ドリブルが好きになりました。同じくサッカーをしていた兄と何度も1対1のドリブル対決をしていたそうです。その後、プロのユース組織である横浜FCに入団することになります。横浜FCもまた自由にプレーさせてくれて、自慢のドリブルはさらに磨きがかかったそうです。コーチや周りの仲間達は斉藤選手の才能を認めて、思うがままにやらせてくれたと言います。
横浜FCでは、その後の転機になる新しい技術も学びました。それが裏抜けの技術です。ディフェンスラインを一瞬で破る裏抜けは得点には欠かせません。高校生の年代になるとユースでも体格の違いが出てきます。斉藤光毅選手は身長が170cmとサッカー選手のなかでもかなり小柄な部類です。強引なドリブルだけでは通用しなくなり、その打開策として監督から裏への抜け出しを学びます。これによりプレーの幅は大きく広がりました。結果、それまでよりも得点が増えたそうです。
プロデビューを果たしたのはなんと16歳のとき。高校卒業デビューでも早いですから、いかに大きな期待を寄せられているか分かります。当時横浜FCを率いていたタバレス監督がデビューさせます。前半戦から出場を重ねて、一時は無意識に体が動く「ゾーン」を経験したそうです。後半戦は出場機会が減りますが、それでも16歳としては堂々たるデビューとなりました。この活躍を見ていたのは日本のサッカークラブだけではありません。海外からも熱い視線を集めていました。
そのひとつがベルギーの2部リーグに所属するロンメルSK(Lommel SK)です。ベルギーといえば、日本人がもっとも所属している欧州のリーグです。ここから冨安健洋選手や遠藤航選手らが欧州を経験し、4大リーグへとステップアップしていきました。斉藤光毅選手は横浜FCを離れ、海外移籍に挑戦します。1年目はリーグ戦9試合出場とあまり出場機会はありませんでしたが、日本では久保建英に続く才能と見られており注目が集まっています。斉藤光毅から世界の「Koki Saito」と呼ばれる日も近いかもしれません。