
三浦知良は通称キングカズと呼ばれているサッカー界のレジェンドです。ポジションはフォワードで、プレースタイルはブラジル仕込みの天才的なシザーズフェイントで相手ディフェンダーを翻弄しシュートへと持ち込むのをはじめ、時にはフリーキックやコーナーキックも担います。また、攻撃的なだけではなく、前線からボールを追いかけ守備にも貢献します。
精神力のタフさも持ち合わせており、最後まであきらめない姿勢が高く評価され、代表チームやさまざまなクラブでキャプテンも務めています。彼の経歴は1982年、高校を1年の途中で中退しブラジルに渡るところからスタートします。母子家庭で育った彼は苦しい生活を強いられていましたが、母親にブラジルに行きたいことを直訴したところ今の家計ではこれしか出せないとブラジル行きの片道切符を渡されます。もしも日本に帰って来たければブラジルでプロとなり、自分でお金を稼いで帰ってこなければならないけどそれで良いかと尋ねられた彼は大きく頷き必ずプロの選手となることを決意します。
最初に育成組織の選手として所属したCAジュベントスでは振るわなかったものの、移籍したキンゼ・デ・ジャウーでは徐々に頭角を現し始め、1986年に名門クラブのサントスFCと念願のプロ契約を結びます。1987年にはマツバラFCへ移籍し、日本人初のブラジル全国選手権への出場を果たしたほか、1988には再びキンゼ・デ・ジャウーと契約しサンパウロ州リーグで日本人初ゴールを決めました。その後もクラブを渡り歩き、1989年にはコリチーバFCでパラナ州選手権優勝を果たしブラジル国内外でも一躍有名になります。
1990年には日本代表入りを目指すために読売クラブに移籍したもののサッカースタイルが合わずにあまり活躍できなかったものの、1992年にはクラブ名がヴェルディ川崎に改称し1993年にJリーグが開幕すると本来の力を出し始め、リーグ優勝に貢献したほか、年間最優秀選手賞を受賞します。また、1993年には再びリーグ優勝に導いただけではなく、シーズン20ゴールで自身初の得点王にも輝きました。そんな彼の活躍を周囲が黙って見ているわけもなく、1994年にはイタリアセリエAのジェノアCFCにレンタル移籍し、ついに国際舞台でのキャリアが始動しました。
その後も彼の活躍は続き、1993年に国際Aマッチ1試合6得点という日本代表記録をマークしたのをはじめ、通算得点記録55点、2018年には当時50歳14日で世界最年長ゴール記録も達成しました。偉大なるキングカズ、三浦知良のサッカー人生はこれからもまだまだ続きます。