
歴史 3
2007年の頃
元大宮監督の三浦俊也が監督に就任しフッキが東京Vに移籍、加賀健一が所属元に復帰するも、2006年に途中加入し天皇杯で好プレイを見せたGK佐藤優也を甲府から完全移籍で獲得する。さらにC大阪からDFブルーノ・クアドロス、ECヴィトーリアからFWダヴィ・MFカウエ、大宮からGK高木貴弘、高卒ルーキーの岡本賢明と岩沼俊介を獲得した。
堅守速攻を武器にリーグ序盤に7連勝を果たすなど順調に勝ち点を積み上げていき、シーズン途中から首位に浮上する。一時は2に勝ち点差10以上をつける独走状態を決め込むが、シーズン当初から連携強化のために出場選手を固定したために、選手の疲労の蓄積や、台風の接近による試合順延で不運な日程を余儀なくされるなど、第3クールとなる8月後半から急激に失速してしまい、他のチームに勝ち点差を詰められてしまい、熾烈な昇格争いに巻き込まれてしまうのだった。
この苦しい終盤戦に3年目の石井謙伍、2年目の西大伍、新人の岡本などの若い選手や横浜FCから途中移籍した鄭容臺が起用に応えて活躍することになり、第45節から48節まで4連勝を飾って見事に首位を守りきるのだった。最終節のみと線に勝利して、彼岸のJ1復帰を果たすのであった。また、東京VがC大阪と引き分けたことで、J2優勝も決めるのであった。
この年はコンサドーレ札幌にとっては大きな一歩となったことだろう。
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2008年の頃
三浦体制2年目を迎えた年、前年度は優勝を飾ることができたものの経営面では黒字幅が少なかったこと、さらに膨大な債務超過を解消する目処が立てられなければJ1参入を認めることはできないという指摘によって資本金80%減資してその上増資するなど、かなり苦しい状況に追い込まれてしまう。そのため、大型補強ではなく身の丈にあった堅実な補強が行なわれる。広島から吉弘充志を完全移籍で、神戸の坪内秀介、清水の平岡康裕、新潟のMFディビッドソン純マーカスをレンタル移籍で獲得し、新人は室蘭大谷高校の宮澤裕樹と柏U-18の堀田秀平が入団した。一方、前年のJ1昇格に大きく貢献したブルーノ・クアドロスが退団、FWダヴィを完全移籍させた。新加入のMFアルセウはチームと自身の起用法などの方向性の違いから退団することになり、新たにアトレチコPRからMFクライトンを獲得するのであった。
ところが2007年に堅守に誇ったDFラインに負傷者が相次ぎ、ゾーンのアナを疲れて失点やセットプレー時での目立ち守備が崩壊してしまい、また点取り屋として期待されていたノナトも調整不足となってしまい、レギュラーにも至らない状態となってしまった。こうした戦力不足から、中断期間突入時点で降格圏内の17位と低迷することになってしまう。FW案でルソンや川崎から箕輪義信を獲得するなどの努力をするものの、10月19日の第29節柏戦に敗れてしまい、J1昇格から1年も経たないうちにJ2降格が決まってしまうのだった。これは当時最も早い降格決定スピードとなってしまい、さらには10月26日の川崎F戦に破れたことで、リーグ最下位も確定してしまうのだった。
2009年の頃
大分や柏で監督を務めていた石崎信弘が監督として就任し、ダヴィが名古屋へ移籍し、西澤淳二・池内友彦・西谷正也・アンデルソンなどレンタル選手も含めた10人以上が退団することになる。一方で、チームの大黒柱もであり、退団が噂されていたMFクライトンは残留し、前シーズン途中に期限付きで加入した箕輪義信を完全移籍で獲得した。また、ダヴィの移籍に伴い、移籍先の名古屋から3億円近くの高額な移籍金が入ったため、更なる補強を断行することになる。具体的に、スウェーデンリーグのユールゴーデンIFからFWキリノ、コロンビアリーグのインディペンディエンテ・メデジンからMFダニルソン、アジア枠で韓国Kリーグの浦項からDF趙晟桓3人の新外国人選手を獲得する。さらに日本人では、大宮からGK荒谷弘樹を獲得した。新人は沖縄大学から上原慎也が入団、曵地裕哉、古田寛幸がユースから昇格した。ところが7月にはいると、クライトン蓋然から抱えていた怪我が悪化してしまい、残りのシーズンの試合全てが出場できないと班産されてしまい、そのまま退団してしまう。代わりにハファエルが加入し、さらに柏の石川直樹もレンタル移籍で獲得するのだった。
若手中心の布陣のため、連勝・連敗の浮き沈みが激しく、勝ちきれない試合も多く、課題の大きいシーズンとなってしまった。
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2010年の頃
石崎体制2年目の年、全円の主力の西大伍が新潟へ、ダニルソンが名古屋へレンタル移籍するも、6チームとの強豪を制して磐田から中山雅史を獲得するのだった。その他にもFC東京から藤山竜仁と近藤祐介、愛媛から内村圭宏、広島から李漢宰を獲得する。さらにシーズン途中には清水の高木純平をレンタル移籍で獲得する。
開幕に躓き、5・6月は無敗も5分と勝ち点を伸ばせず、7月以降はけが人が出るなど1年を通して昇格争いに加わることもなく、年間順位11勝13分12敗の13位で終了してしまうのだった。
特に終盤で怪我による離脱者が非常に目立つようになり、ベンチ入り可能な18人のメンバーを埋められなかったり、控えGKが二人ベンチに入るという事態にもなったが、その中から札幌U-18の三上陽輔が現役高校生ながら大活躍し、将来有望な選手として期待を抱かせることになった。
2011年の頃
石崎体制3年目を迎えたこの年は、チーム設立15周年を向かえることになった。6年半在籍した西嶋弘之が徳島へ、ユース時代から在籍していた藤田征也とキャプテンを務めた石川直樹が新潟へ、佐藤優也が北九州へ、吉弘充志が愛媛へ、堀田秀平が新潟シンガポールへ、李漢宰が岐阜へ、新潟にレンタル移籍していた西大伍が鹿島へ完全移籍した。また、藤山竜仁が引退、箕輪義信が退団するなどし、多くの選手がチームを去るなどの動きがあった反面、補強として日本人では新潟から高木貴弘、C大阪から山下達也、鳥栖から日高拓磨、横浜FMから河合竜二を獲得、レンタル移籍だった高木純平は完全移籍となり、三上陽輔がユースから昇格し、新人は室蘭大谷高校の櫛引一紀が入団するなどの動きもあった。外国人ではチアゴ、ユニバーシアード韓国代表、U-23韓国代表候補の李昊乗、ブラジルのクラブからブルーノ、アンドレジーニョの獲得に成功する。また、一度退団した砂川誠と再び契約を締結することにもなる。
シーズン中にはアンドレジーニョがAリーグのパース・グローリーFCへ移籍し、チアゴも退団するも、かつて川崎・柏で石崎監督の下でプレーしていた岡山一成、新外国人として尾ブラジルのクラブからジオゴ、レモスが新加入した。
J2開幕戦の愛媛戦に破れてしまい、また東日本大震災の影響による1ヵ月半の中断期間を挟んだ後の、ホーム開幕戦となる湘南戦にも敗れてしまい、春先は下位に低迷してしまう。しかし途中加入した岡山がサポーターを鼓舞して、ジオゴのところでボールが収まるようになり、夏場を10勝3部2敗と一気に上昇した。またDF陣では新人の櫛引がレギュラーをダッシュして、櫛引がU-18日本代表でチームを離れると札幌U-18で2種登録の奈良竜樹が最終戦まで穴を埋める以上の活躍をするなど、若手とベテランがうまくま在利、先制点を上げて逃げ切るスタイルで勝ち進んでいった。徳島と勝ち点で並んだ最終節、ホームの札幌ドームに歴代2位となる約40、000人ものサポーターが動員されている中でFC東京に勝利する。その後、Jリーグ理事会により今期の成績を認められて、次の年からのJ1昇格が認められるのであった。
2012年の頃
石崎体制4年目で4度目のJ1年、山下達也がC大阪に、2年間レンタル移籍していたダニルソンが名古屋に、ブルーノがグアラニFCに、ジオゴが徳島にそれぞれ完全移籍、レモスは契約満了により退団、西村卓朗が引退、上里一将が徳島にレンタル移籍する。一方で、鹿島から杉山哲、広島から髙柳一誠、大分から前田俊介、清水から山本真希、新潟から大島秀夫、FC東京からオーストラリア代表のジェイド・ノースを完全移籍で、ジュニーニョをレンタル移籍で獲得に成功するのであった。前年に大邱FCにレンタル移籍していたキリノが復帰。さらにユースからシーズン終盤に活躍した奈良竜樹をはじめ、荒野拓馬、小山内貴哉、前貴之、榊翔太がトップへ昇格した。なお、湘南から完全移籍の松尾直人はFC大阪へ移籍する。
2月1日、Jリーグから2012シーズンの全試合日程が発表されると、コンサドーレ創設当時から使用されてきた『室蘭市入江運動公園陸上競技場』と、2000年より準ホームスタジアムとして使用されてきた『函館市千代台公園陸上競技場』の2つのスタジアムが、2013年より導入されるJリーグクラブライセンス制度のスタジアム基準を満たしていないことが判明してしまい、開催を断念することになってしまう。本シーズンで史上初の全ホーム試合札幌開催となってしまったのだった。
リーグ開幕戦の磐田戦は引き分けたものの、その後は7連敗してクラブ創設以来初の開幕8戦白星がないという相変わらずの不調振りを発揮してしまい、次のC大阪戦でようやく初勝利を飾ることが出来たのであった。だが勝利は続かずに、W杯予選によるリーグ戦中断を挟んで9連敗、7月28日のホーム名古屋戦で2勝目をあげることが出来るが既に時は遅いように見えた。そこから何としてもと、てこ入れのため7月に全北現代モータースより金載桓をレンタルして、ナウチコからハモンとフォス・ド・イグアスFCからテレを完全移籍で獲得する。またキリノは湘南へ完全移籍、横野純貴をJFLのツエーゲン金沢へレンタルし、ジュニーニョと契約解除した。
こうした努力を試みた結果としても成果は上がることなく、9月29日アウェイ川崎戦でまたもやJ2への降格が決まるなど、相変わらずの不調を発揮してしまうのだった。この時っもまた9月中の降格が決まるといった事態は史上初とのことで、史上最速記録をたたき出してしまうのだった。さらには年間順位も最下位をぶっちぎり、17位のG大阪と比べても勝ち点24点も開くなど、最悪の成績を記録して、この年のコンサドーレ札幌の記録はJ1史上ワースト1という記録もはたきだしてしまい、泥を塗ってしまう結果となってしまった。この結果を受けて監督は退任し、中山雅史も現役を引退するのであった。